信仰で獲得できる倫理観

第2のポイント

 信仰は光です。人間を照らし、その上に刻まれたサマダーニヤの手紙を読ませます。同様にそれはこの宇宙を照らし、そして過去、未来を暗闇から救うのです。私はこの神秘を、ある出来事において

[1] اَللهُ وَلِىُّ الَّذِينَ اٰمَنُوا يُخْرِجُهُمْ مِنَ الظُّلُمَاتِ اِلَى النُّورِ

という言葉の神秘について私が見た比喩を用いて説明しましょう。

  私は想像の中で次のようなものを見ました。向かい合う二つの高い山があり、そこに恐ろしい橋がありました。橋の下に深い河がありました。私はその橋の上にいました。深い暗闇が世界の全てを覆っていました。

 私は右側を見ました。そこには果てしない闇に包まれた巨大な墓がありました。左側を見ると、凶暴な嵐と暗い闇に包まれた恐ろしい災難が用意されているように見えました。橋の下を見ると、深い絶壁になっているように私には思えました。この恐ろしい暗闇に対して、私は薄暗いランプを持っていて、それを使っていました。ぼんやりとした光で見ていました。非常に恐ろしいことが起こったように見えました。橋の先端やその周囲に恐るべきライオンと、竜、怪物たちが見えたのです。私は「このランプがなければよかったのに、この恐ろしい景色を見なければよかったのに」と言いました。そのランプをどこに向けても、同じように恐ろしいものが見えました。「ああ、このランプは災いをもたらす」と私は思いました。

 そして私は怒ってそれを地面に投げつけ、それを打ち壊しました。それを壊すや否や、まるで、世界全体を照らす巨大な電灯のスイッチをつけたかのように、暗闇は突然四散しました。あらゆる場所がその電灯の光で満たされていました。そしてあらゆるものの真のあり方が見えたのです。

 私の見た橋は、非常に整った平原にある大きな道路でした。私が見たと思った巨大な墓は緑の溢れる庭園で、崇拝行為や奉仕、説話、そして祈念のための集いがしっかりした管理のもとで行われていました。私が大荒れであると思っていた左側の崖、絶壁は、飾られ、愛らしく、魅力的な山の背後の大きく美しい観光地であることを見ました。そしてその恐ろしい怪物、竜であると私が思った被造物は、よく懐いたラクダや雄牛、羊やヤギのような家畜であるのを見ました。私は「信仰の光のために、アッラーに感謝を」と唱え、

[2] اَللهُ وَلِىُّ الَّذِينَ اٰمَنُوا يُخْرِجُهُمْ مِنَ الظُّلُمَاتِ اِلَى النُّورِ

という節を読み、我に帰ったのでした。

 そう、この二つの山は人生の始まりと終わり、すなわちこの世での人生と、墓場での生です。この橋は人生の道のりです。右側は過去で、左側は未来です。小さなランプは、自己中心で、自分の知っていることだけに頼り、アッラーの啓示に耳を傾かない人間の自我です。怪物だと思われたものは、この世界での出来事、そして驚異的な被造物なのです。

 そう、自分の自我に頼り、不注意の闇に落ち、逸脱の暗闇に囚われる人は、この出来事における私の最初の状態に似ています。小さなランプを持ち、不十分で見当違いの知識に頼り、過去を闇に包まれた巨大な墓場と、未来を荒れ果てた恐ろしい場と見なします。またそれぞれがハキーミ・ラヒームの従順な奉仕者である出来事や被造物を、有害な怪物と見なします。

[3] وَالَّذِينَ كَفَرُۤوا اَوْلِيَۤاؤُهُمُ الطَّاغُوتُ يُخْرِجُونَهُمْ مِنَ النُّورِ اِلَى الظُّلُمَاتِ

 この節の状態に達するのです。

 もしこのような人が神の導きを受け、その心に信仰が入れば、そしてもしその我欲がフィラウンのように傲慢であることをやめ、アッラーの啓典を聞けば、その人は私の二番目の状態に似るでしょう。その時全世界は突然真昼の光を得て、神の光によって満たされます。そして世界は

[4]  اَللهُ نُورُ السَّمٰوَاتِ وَاْلاَرْضِ

というクルアーンの説を読むでしょう。

 そして、過去は巨大な墓場ではないこと、それぞれの世紀で預言者あるいは聖人の指導のもとで崇拝の義務を果たしていた清らかな精神を持つ人々が、この世界での役割を終えて「アッラーフ アクバル」と言い、未来へと飛翔して去っていくさまを心の目で見るでしょう。

 そして彼は左側を見ます。山のような、墓や来世で生じる大きな変化の背後に、天国の庭園の幸福の宮殿が築かれているラフマ―ニヤの宴があることを、その信仰の光で見出します。そして嵐や地震、伝染病といった出来事が、アッラーの従順な奉仕者であることを知ります。春の嵐や雨のような出来事は、見かけは厳しくても実際には細やかな英知への要因となることを目にします。さらに死を永遠の生の始まり、墓を永遠の幸福のための扉と見るのです。これら以外のことについても類推をしてみてください。


[1] アッラーは信仰するものの守護者で、暗黒の深みから、彼らを光明の中に導かれる (雌牛章 2:257)

[2] アッラーは信仰する者の守護者で、暗黒の深みから、かれらを光明の中に導かれる(雌牛章 2:257)

[3] 信仰しないものは、邪神がその守護者で、彼らを光明から暗黒の深みに導く(雌牛章 2:258)

[4] アッラーは、天地の光である (御光章 24:35)

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