人間の重要性ってなんだろう?

信仰の光を通して、人間は最も高いところに到達し、そして天国に値する価値を獲得します。不信心の闇によって最も低いところに落ち、地獄にふさわしい立場になってしまいます。なぜなら信仰は人をサーニ・ズルジャラールに結びつけるものだからです。信仰は一つの結びつきです。信仰を通して人間の上に現れる神の芸術性の素晴らしさと、ラッバーニヤの美名による碑文によって人間はその価値を獲得します。不信心は、その結びつきを絶ちます。それにより、ラッバーニヤの芸術は覆い隠されます。その時には、人間の価値は物質的なものでしかなくなります。物質は―時的な、滅びていくものに過ぎないため、その価値は無となってしまいます。
 もう少しこの神秘についで説明してみましょう。例えば人間の手による芸術では、そこで使われた材料の価値と、その作品の価値とはまったく別のものです。時にはそれらは等しく、時には材料のほうがもっと貴重であり、時には5セントの鉄のような物質からできた、5ドルの価値のある芸術が存在します。時として、アンティークである芸術作品は、作品としては100万ドルの価値を持つのに、材料的には5セントの価値すらないこともあります。このようなアンティークがアンティーク市場に出された場合、その素晴らしい仕事を行った才能ある芸術家と結び付けられ、その芸術家を思い起こさせ、その芸術性と共に展示されることで100万の値がつきます。しかし鉄くず市場に出された場合は、5セントの鉄の値段で取引されるのです。
 そう、人もジャナーブ・ハックの芸術品です。最も繊細で優美な神の力の奇跡です。アッラーは人間を、全ての美名の顕現、そしてその芸術への媒介、世界の縮小模型として創造されたのです。
 もし信仰の光が人の中に入れば、彼の中にある全ての意味深い刻銘がその光で読まれるでしょう。信者はそれらを意識して読み取り、そのつながりによって読ませます。つまり「私はサーニ・ズルジャラールの芸術作品であり、被造物である。私はその慈悲と慈愛の顕現の場である」という意味と共にラッバーニヤの芸術が明らかになります。つまりサーニへの結びつきから成る信仰は、人における芸術作品の全てを明らかにします。人の価値はそのラッバーニヤの芸術によるものなのです。そしてサマダーニヤの作品を映し出す鏡であることによるのです。それによってちっぽけな存在である人は全ての被造物よりも優れた、アッラーが対話される存在、そして天国にふさわしいラッバーニの客となります。
 しかし、結びつきが絶たれることから成る不信仰が人間の中に入れば、神の美名、数多くの意味深い刻銘を暗闇に落し、それらは読まれることがなくなります。なぜなら、サーニが忘れ去られたならば、サーニに向けられる精神的なあり方も理解されず、まさに真っ逆さまに地に落ちてしまうのです。
 この有意義で荘厳な芸術と、輝かしい芸術の多くが隠されてしまいます。それでも残る部分、目に見える一部分は、低俗な要因、自然、そして偶然によるものと見なされ、非常に低俗なものと見なされてしまいます。それぞれが輝かしいダイヤモンドなのに、曇ったガラス片と見なされてしまうのです。その重要性は単に、動物としての物質的な部分によるものとなります。物質の目的とその成果は、述べてきたように、短い寿命において動物の中でも最も無力で多くのものを必要とし、最も苦労の多い存在としてわずかな人生を過ごすことです。それから腐って消えてしまうのです。そう、教えの否定はこのように人間の本質を損なわせ、ダイヤから炭へと変えてしまいます。


サーニ・ズルジャラール :  無限の威厳の持ち主であり、全てを芸術的に創造されたお方 サーニ全てを芸術的に創造されたお方ラッバーニヤ :  アッラー
ジャナーブ・ハック :  
アッラー

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